10期生

2005年卒業

●制作活動歴

<出品歴>

2004年 日本版画協会「第72回版画展」(上野・東京都美術館)等

<受賞歴> 

2004年 日本版画協会展 入選 等


◾就業活動歴

2005年 3月 

東北芸術工科大学 芸術学部 洋画コースを卒業。

ゲームセンターやコンビニ、パチンコ店などでアルバイト。

2008年


非常勤講師(美術)として山形県立金山高等学校に3か月勤務。

2009年

助教諭(理科)として南陽市、米沢市の中学校に11年間勤務。

2020年


山形県に教諭(美術)として採用され長井市立長井北中学校に勤務。


2019年 生徒と一緒に制作した、卒業式のための装飾。


2020年 コロナ禍で縮小された卒業式のために、装飾を手がけました。



2020年 美術の授業風景。

日常の空間を、テーマを決めて装飾する課題に取り組む生徒のようす。


コメント

 東北芸術工科大学(以下「芸工大」)で芸術を学んだことは、私の人生を大きく変えました。私は、高校時代、右目のケガをきっかけに人生に対し後ろ向きになり、ダラダラと過ごした挙句、なんとなく選んだ大学へ進学しました。しかし、自分に人生の主軸を置くことのできず、大学には行かなくなりました。何をするわけでもなく、フラフラと生きていることが苦しく、悩み続けました。やっと「人生は自分の思うように生きようとする意志が大切だ。」と気付いたのときには22歳になっていました。そして大好きだった絵を学ぼうと、それまでの大学を中退し、東北芸術工科大学で再スタートを切ったのでした。

そこには清々しいほど新しい世界が広がっていました。「君は何がやりたいのかな?」と率直に聞かれる講評会。若月教授の一声で突然始まるラーメン作りやスィーツ作り。年齢を気にせず作品のこと、宇宙のこと、人間関係のことなど、どんなことでも熱く語れる仲間たち。自由に発想することが当たり前。「変な人」は誉め言葉。私にとって芸工大は様々なこだわりを取り払い、人生をシンプルに生きやすくしてくれた場所でした。


木版画に惹かれたのは、板の加工の方法、色の重ね方、刷り方など様々な工夫で、筆とは異なる発色やマチエール、ぼかしの表現が生まれるところに魅力を感じたからでした。試行錯誤を繰り返しても、思ったような表現にならず、苦しむこともありましたが、だいたいそういうときは周りの評価が気になるときで、そこを越えてただ黙々と制作に没頭することができれば、生きていることを実感し、喜びを感じることができました。そういう感覚こそが、学びだったと思います。


今、私は中学教師として教壇に立っています。11年間、理科を担当することになり、美術からは離れてしまいましたが、芸工大で得たことは大いに役立ちました。様々な理由で挫折を味わった子どもたちに、自信をもって「生きるって楽しいよ」と言える自分がいたのです。そして、その子どもたちを支えることが私の生きがいになったのでした。今年度からは、やっと美術教師としてもスタートを切れました。美術という自由度と可能性のある分野ならば、より多様な形で子どもたちを勇気づけられるという確信があり、これからがとても楽しみです。



1「M」木版画 45.5cm×181.8cm 2003年



2 「にどね」木版画 21.9cm×14.8cm 2004年



3 「REM」木版画 21.9cm×14.8cm 2004年



4「My room」木版画 91.5cm×60.6cm 2004年

     日本版画協会展 入選



5「orange float」木版画 91.5cm×60.6cm 2004年



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